INTRODUCTION

この一家に幸あれと
願わずにはいられない!
イラン映画の巨匠ジャファル・パナヒの長男、パナー・パナヒの鮮烈な長編デビュー作
『白い風船』(1995)『チャドルと生きる』(2000)『人生タクシー』(2015)他でカンヌ、ヴェネチア、ベルリンの三大映画祭を制覇した世界的巨匠であり、長年にわたるイラン政府との自由をめぐる闘争でも知られるジャファル・パナヒ。その制作現場で経験を積んだ長男パナー・パナヒが2021年、満を持して長編デビュー作を発表し、カンヌを皮切りに世界各国96の映画祭を喝采の渦に巻き込んだ。
 父ジャファルが製作として関わっている本作は、イランの荒野を車で移動する家族のロードムービー。監督の家族や友人に起きた出来事から触発された物語は、驚くほどシンプルでありながらユーモアとペーソス、そしてサスペンスに富み、観客は一瞬たりとも目を離せない。
愛すべき家族との旅へようこそ
次世代監督が描くイラン社会の現実と夢

イランの国境近くを車で旅している4人家族と1匹の犬。幼い次男が大はしゃぎする中、怪我人の父は悪態をつき、母は昔の流行歌を口ずさみ、成人したばかりの長男は無言でハンドルを握っている。車はどこへ向かうのか? 何が一家を待ち受けているのか? 大人たちが口に出さないこの旅の目的が明らかになる時、私たちは深い感動に包まれる――

自由や人権を求める国民の声を弾圧しているとして国際社会からたびたび非難されているイラン当局。パナー・パナヒ監督も、その激しい弾圧の影響を受けた一人である。父ジャファルは改革派を支援したことなどを理由に2010年に逮捕。その後、20年間の表現活動と海外渡航を禁止されるも、タクシー運転手に扮しての車内撮影からUSBメモリの密輸まであらゆる手段を駆使して映画の制作と上映を実現させ、世界の映画人の尊敬と支持を集めてきた。一方でパナー監督の周りには国内の状況に絶望し、さまざまな方法で国外に脱出した家族や同世代の友人もいるという。
現在30代の監督は父の闘いや仲間の苦しみをどのように見てきたのか? 旅立とうとする息子と国内に残る家族との最後の旅を描いた本作には、監督が実際に見聞きしたエピソードが反映されており、これからのイラン映画を担う作家としての人生観と覚悟が随所に感じられる。

もっとも本作の見どころは社会的背景に留まらない。子どもの演技が魅力的なイラン映画は数多いが、撮影当時6歳の次男役、ラヤン・サルアクが放つ天真爛漫なエネルギーには、誰もが圧倒されること必至だ。加えて両親役のベテラン、モハマド・ハッサン・マージュニとパンテア・パナヒハによる人間味あふれる演技、長男役の新人アミン・シミアルの憂いを帯びた佇まいも各国の観客や批評家から絶賛されており、フィラデルフィア映画祭では4人揃ってアンサンブルキャスト賞を受賞。彼らが絶妙なテンポで見せる親子や夫婦のやりとりは、家族の関係は世界のどこにいても変わらないことを私たちに教えてくれる。
他にも広大な砂漠や高原と狭い車内のコントラストが印象的な映像や、物語をノスタルジックに彩るイスラム革命以前の歌謡曲の数々、時に現実を超越する詩的な演出など、観る者の胸を揺さぶってやまない仕掛けがいくつも施された本作。デビュー作にして偉大な父の名前に引けを取らない珠玉の名作が、ついに日本のスクリーンに登場する。

STORY

荒涼としたイランの大地を走る1台の車。後部座席では足にギプスをつけた父が悪態をつきながら、旅に大はしゃぎする幼い次男の相手をしている。助手席の母はカーステレオから流れる古い歌謡曲に体を揺らし、運転席では成人した長男が無言で前を見据えている。
次男が隠し持ってきた携帯電話を道端に置き去ったり、尾行に怯えたり、転倒した自転車レースの選手を乗せたり、余命わずかなペットの犬の世話をしたりしながら、一家はやがてトルコ国境近くの高原に到着する。そこで父と母は羊飼いや仮面をつけた男と交渉し、長男は「旅人」として村人に迎えられる。旅の目的を知らない次男が無邪気に騒ぐ中、我々はこの家族の行方を知ることになる。

DIRECTOR

監督 パナー・パナヒ
1984年、テヘラン生まれ。テヘラン芸術大学で映画を学ぶ。
在学中に初の短編映画を監督し、国内外の多くの映画祭に参加し、賞を獲得する。
当時、パナーはOcian Cinefan Festival of AsisaとArab Cinemaの審査員も務めていた。
その後、セット・フォトグラファーとなり、いくつかの映画でプロとして活躍し、撮影助手、助監督を歴任。やがて、ジャファル・パナヒ監督の近年の作品のコンサルタント、編集者、助監督を務めるようになる。本作は自身にとって初の長編映画である。

CAST

モハマド・ハッサン・マージュニ(父親)
1969年1月18日、イランのザンジャーン生まれのイランのテレビ俳優、演劇ディレクターである。テヘラン芸術大学演劇学科を卒業。
リーフ・シアター・グループのディレクターとして、アントン・チェーホフやサミュエル・ベケットといった作家の国際的なレパートリー作品を含む多くの作品に出演するだけでなく、演出も手がける。
カマル・タブリズィ監督の「Hamishe Paye Yek Zan Darmiyane」で長編映画デビューし、その後15年にわたり多くの映画作品に出演している。また、 Rambad Javan監督の「Passengers」(2008年)、Soroush Sehat監督の「Shamdooni」(2014年)などのテレビ番組にも出演している。
Mani Haghighi監督の『ピッグ』(2018年)の演技で、第20回イラン映画祭の金像賞(主演男優賞)にノミネートされ、シッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀男優賞を獲得している。
パンテア・パナヒハ(母親)
1977年11月29日、テヘラン生まれ。イランの演劇、映画、テレビの女優、脚本監督で、スール大学を卒業した。
20本以上の映画に出演する一方、イランでは演劇女優としてイラン国内外のレパートリーに出演している。第90回アカデミー賞外国語映画賞のイラン作品に選ばれた『ブレス』(2016年)の演技で国際的に知られている。その他、いくつかのテレビ番組にも出演し、最近では「Once upon a time in Iran」や「Lady of the Mansion」で、イランのハーフェズ賞で最優秀女優賞を受賞している。常に実験的な試みを続け、俳優のサベル・アバールと共同でアルバム「Dancing in the Flames with You」を制作し、 Mehyar Alizadehの音楽に合わせて詩を朗読した。このアルバムは、イランを代表する音楽祭であるFajr Music FestivalのBarbad Awardにノミネートされた。
ラヤン・サルアク(次男)
ジョークや物まねの才能を見出した両親は、彼をMehrnoush Daraの子供向け演技クラスに入学させ、2017年12月のショー「Caterpillar and why Bears Have Short Tails」で初めてプロの役を演じた。
Fajr国際演劇祭への参加をきっかけに、多くの監督の目に留まり、2020年、6歳だったサルラクは、Amini監督の映画「Fourth Round」に出演することになった。その後、サルラクはJalil Saman監督によって40人の子どもたちの中から選ばれ、2020年のテレビシリーズ「Zirkhaki」に出演することになった。このシリーズでは、Pejman JamshidiやJaleh Samtiと共演し、Kavehの役で注目を集めた。
本作では、キャスティングの過程でパナヒ監督が出会った3人目の子どもだった。サルラクが幼いにもかかわらず、とても外向的で、明るいことに心を打たれ、監督はすぐに彼をキャスティングし、彼の新鮮さと自発性を失わないために、オーディションをせずに決定した。撮影時、まだ6歳だった若い俳優には多大なエネルギーが必要だったが、この選択は映画の撮影を通じて実を結んだ。
アミン・シミアル(長男)
2015年に俳優活動を開始。翌年、テヘラン大学美術学部に入学し、人形劇を学ぶ。 もともとコンテンポラリーダンスを専門に、演劇で演技をすることに重点を置いていた。

舞台芸術の探求を続ける中、リーヴ演劇アカデミーの演技コースを修了。
その間、モハマド・ハッサン・マージュニの指導のもと、イギリスの有名な劇作家アーノルド・ウェスカーの「キッチン」に出演した。
パナー・パナヒは最初、写真を見てアミンを選び、会ってすぐに納得したという。
『君は行く先を知らない』(21年)はシミアルにとって初めての長編映画作品だが、テヘランで学生向けの短編映画にも何本か出演している。

COLUMN

A Bitter-Sweet Film
「泣かない挑戦」
ショーレ・ゴルパリアン
(通訳翻訳家/プロデューサー)
映画『君は行く先を知らない』は、ある家族4人の最後の家族旅の物語である。 夫婦が2人の息子と愛犬ジェシーを連れ、レンタカーでイラン北西部の国境を目指して旅に出る。 父親は足を骨折しており、ギプスをしている。 母親は時折、悲しげな表情と声ではあるが、これは幸せな旅なのだと表現する。 次男は一瞬たりともやんちゃをやめず、周囲を困らせる。 一方、 長男は悲しみと沈黙の中で運転し続け、車は国境へと進んでいく。 やがて長男はイランから脱出するために密輸業者に引き渡され、これが旅の目的だったことが分かる。 つまり、本来は長男の他国への移民を目的とした、家族の最後の旅の物語だったのだ。 この家族旅行をするにあたり長男の出した頼み事は、両親には、お互いを傷つけないように、弟には、この家族旅行の目的や結果を知られないように、みんなに旅行中は悲しい気持ちを控えてほしいということ。 したがって、この映画は、主人公たちが一種の「泣かない挑戦」をしているのだ。 笑う場面があれば、それは怒りや悲しみに耐え忍んでいると言えるだろう。 登場人物は、家族犬のジェシーを除き、ほぼ名前がなく、そのことにより個性の際立ったキャラクターを生み出そうと試みている。 なぜ長男が行くのか、徴兵逃れなのか、政治的な問題があるのか、違法なことで逮捕を免れたのか、学生なのか...何も説明がない。 なぜなら、重要なのは人がより良い生活への希望に挫折し、絶望と失望、その上すべてを暴かれ、社会の中に居場所さえ見つけられなくなったということ。それはどこにでも起こりうることで、人にはそれぞれの理由があります。 車内の混乱、役者の姿勢、空間を支配するグレーの色合いから、家族の混乱や行き詰まりが伝わってくる。厳しくも甘く時に笑える台詞、一見冷たく見える家族愛から、空間映像と物語との間に美しいコントラストが生じる。 先の見えない道を進む青年、幸せそうな隣に座る幼い弟、笑いながら泣いて苦しむ母親、寡黙な父親・・・。父親のギプスの足は、身動きでず不安定な社会の象徴だろう。 脚本は、過去数十年にわたるイラン社会の3世代の物語を描いており、 過去、現在、未来の社会的・政治的状況に焦点を当て、 それぞれの登場人物が異なる世代を代表している。 親世代は、現状に責任を感じ、若い世代のために未来を築きたいと考え、現在の無秩序な状況を改善するために最善を尽くしている。 若い世代は、出口が見えない絶望感に苛まれ、どんなに前向きでも、どんなに頑張っても絶望的だと考えており、なかには、「他国への移住しかない」と考える人もいる。 本作がイラン映画の重要な作品とされるのは、いくつかの特徴があるから。 まず、本作の台詞は、規模の大きなイラン映画の台詞とは似ても似つかぬものであるということ。 家族関係、特に大人と子供の間の雰囲気は、しばしば変わった言葉、侮辱、からかいによって特徴づけられ、イランの観客を他のイラン映画ではめったに出会えないキャラクターの世界に引き込んで行く。特にこれらの対話がコミカルだからである。 つまり、台詞はリアリズムによる親密さの機能を果たすだけでなく、映画のコミカルなムードと完全に対応している。イラン映画のポストモダンの流行作品とは異なり、セリフは単に軽薄で不条理なものではない。 イラン映画の決まり文句や、保守性からかけ離れた甘く屈託のない会話、俳優たちの力強く滑らか でドラマチックな演技とが、この映画を煩わしくも退屈でもないものにしている。 観客の想像力を高め、登場人物に感情移入させることに成功しているのだ。 この映画『君は行く先を知らない』は、ジャンル映画でもなければ、画期的な前衛的作品でもない。 むしろ、イラン映画の「社会派」映画と共通するものがあるという点で、興味深い。 ムード作りに重点を置いた親密で温かみのある「ロードムービー」ができあがり、監督はこの映画でさらに「ファンタジー」「ミュージカル」をも試みている。 ユーモアを重視した映画でありながら、「人間の無力感」という身近な感覚を部分的に覆い隠している。 この映画の多くの場面で、私たちはいわゆる現実的なスタイルと向き合うことになる。 パナー監督のスタイルは、影響を受けたという父、ジャファル・パナヒやアッバス・キアロスタ ミの映画とは全く異なるものと考えることができるだろう。 この映画は、国内外の「流行」に関係なく、個人的で正直な視点と、何よりも精神性から生まれている。それは、映画との関係であり、人生との関係でもあるのだ。
ショーレ・ゴルパリアン 
(通訳翻訳家/プロデューサー)
映画プロデューサー、字幕翻訳家、東京藝術大学大学院映像研究科客員教授。
イラン生まれ。79年来日、在日イラン大使館の大使秘書などを努める。
モフセン・マフマルバフ監督「サイクリスト」(1989)を皮切りに日本で公開されるイラン映画のほんとど全ての字幕翻訳に関わる。世界を席巻するイラン映画の監督たちの通訳、アシスタントを務め、日本名地の映画祭でイラン映画を紹介。日本で撮影されたアミール・ナデリ監督『CUT』(2011)のプロデューサー・監督補/アッバス・キアロスタミ監督「ライク・サムワン・イン・ラブ」(2012)の監督補を務めたほか、国際合作をプロデュース。
「映画の旅びと」がみすず書房より2021年9月刊行。
2018年7月、外務大臣表彰を受章、2019 年3月日本映画ペンクラブ特別功労賞を受賞、2020年11月、旭日双光章を受賞。